晒される写真
一般的な人なのにテレビのニュース番組や新聞、ネットニュースに顔写真が晒される人がいる。事件の犯人や被害者などである。
事件の犯人の顔が晒されるのは致し方ない。それくらいは分かったうえで事件を起こしているだろうからどうでもいい。
しかし、事件の被害者が写真を晒されるのは納得いかない。何も悪いことはしていないし、事件が起きて自分が被害者になるという事は想像できていない。突然事件の被害者となった上に写真を晒されてしまうことに納得できるのだろうか。自分だったら納得できない。
たとえ死んでいたとしても自分の死後不特定多数の人に顔を晒されたりなどしたくない。しかもその写真は自分で選べない。マスコミが手に入れたいつだかわからないような写真が晒されるのである。変な顔をしているかもしれないし、写りが良くないかもしれないし、卒業アルバムの写真かもしれない。
マスコミは事件の悲惨さや凄惨さ、リアリティを人々に与えるために被害者の写真を公表すると言われている。けれどそれは本当に必要なのだろうか。もし自分が何らかの事件の被害者になり遺書に写真を報道に利用しないでほしいと書いておいたところでその事実は無視され写真は晒されてしまうだろう。
被害者の意思など関係なく晒される写真。写真どころではなく作文が晒されてしまうこともある。被害者にとってなんと屈辱的なことだろうか。幼いころに書いた作文を人にとやかく言われ、写真を晒される。
けしてそこに本人や家族の同意はない。マスコミは時に本人として売られた別人の写真を報道に利用してしまうこともあるほどなのだ。
どうすれば写真が晒されるのを防げるか自分は知らない。
だから時々考える。自分が死んだら誰が自分の写真をマスコミに売ってしまうのだろうか、どんな写真を売るのだろうかと。