エレベーターに鏡をつけたのは誰か
エレベーターに鏡をつけようと言い出したのは一体誰なのか、何故あんなものがついているのか、と以前は腹立たしく思っていた。
あの鏡があるせいでエレベーターに普通に乗ると自分の姿を1度必ず視認しなくてはならない。しかも乗り合わせた人が鏡の前で髪をちょっと直したりキメ顔のようなものをしたり挙げ句のはてにはポーズをキメたりもする。鏡さえなければこの時の不愉快な気分を味わうことがないのに何故鏡があるのか、誰が鏡をつけようなどと思い付いたのだと意味もなくイラつくことがよくあった。
しかし今の自分は鏡が何のためについているのか知っている。あの鏡は車椅子の人がエレベーターの奥方向に向いて乗った後、降りる際に後方確認をするためにあるのだ。なるほどなと納得すると共に、これは文句を言いにくい理由だなと思ってしまった。この事を知って以来エレベーターの鏡にイラつかなくなった。イラつく対象が変わった。エレベーターでキメ顔する人自身にイラつくようになった。
このように腹立たしさの対象が変わるということはよくある事なのだが、本当は腹立たしく思わなくなりたいのだ。
腹立たしく思わなくなりたいと思い理由を調べたところで、違うものに腹立たしく思うようになっていたのでは意味がないのだ。
エレベーターで腹立たしく思う気持ちをどうしたら防げるのかを考えてみたところ、エレベーターには目をつむって乗る以外のアイディアが浮かんでこなかった。自分の発想力の無さに落胆したがやってもみずにこれは駄目だと結論づけるのはどうかと思い試してみたことがある。
結論から言うと駄目だった。
エレベーターがきて乗っている人がいないことを確認した後、目をつむりエレベーターの中へと進む。その時事故が起きた。進みすぎてエレーベーターの鏡へ衝突した。駄目にもほどがある。
自分は二度とエレベーターに目をつむって乗ることはないだろう。
だからなんなのかと言われるともうなんでもない。自分はただエレベーターの中で心穏やかに過ごしたいだけなのだ。
そう、それだけ。何かを言いたかったわけではない。
言い忘れていたがエレベーターに鏡をつけようとしたのは誰かという事に関しては興味がなくなったので調べていない。