トラブルと苛立ち
東京都市圏で電車を利用した生活を送っていると、毎日どこかしらの路線で、車両点検なりお客様トラブルなりで電車が止まったり遅れたりする。自分が使う路線が止まったり遅れたりすると思ったように移動できず予定が消化できないこともある。
時間通りに生活できるという事を当たり前に過ごしているうちに、時間通りに電車が運行してないというだけで困ってしまうようになった。
運行停止や遅延の原因となった当該車両に乗り合わせてしまったときは、その原因を理解していることが多くあまりイライラしない。しかし、そうでないときは少しイライラしてしまう。なんだか無関係なのに巻き込まれたように思えるのだ。
自分のせいではないのにトラブルに巻き込まれることや、損をしてしまうことは少なくはない。少なくはないからといって無条件に許せるわけでもなければ、イラつかないということもない。
トラブルの原因が判明しており、当事者がしっかり反省していた場合や誰のせいでもなく起ってしまったときはあまりイライラしない。トラブルを起こした当事者が反省していないどころか悪いとも思っていないときはイラつきをとおりこして呆れてしまう。
しかし、原因もわからないのに損害を被ってしまうこともある。このときが最もイライラするように感じる。理不尽なめにあっていると思ってしまう。
原因が分かると苛立たしさが減るのはなぜであろうか。
このことについてよく知らない。
ところで、自分がトラブルの原因になってしまったときも理不尽さを感じることがある。
思うようにやれという指示に従ったらトラブルの原因になってしまったというようなとき、悪いのは自分だけではないのではないかと思う。指示を聞き間違えていたのであれば完全に自分のせいなので反省するしかない。しかし、相手が丸投げしてきたことによるトラブルは、直後はしばらく反省するがしばらくすると他の人のせいでもあるという理不尽さを感じる。逆に自分が指示をしたことを相手が聞き間違えてトラブルになってしまったときは自分も反省してしまう。
指示をした人とされた人の総反省量を考えていくと、原因がはっきりするときほど多く、原因がはっきりしないときほど少なくなるように思える。
これはいったい何なのだろうか。
やはりよくわからない。