無内定無職のタワゴト

140文字以上になるぼんやりとしたこと

不謹慎と言う不謹慎さ

不謹慎はどこから来るのだろうか。

 

不謹慎とは慎み思慮分別が欠如しているということを指す言葉である。

重大な災害や事故などでたくさんの死傷者が出てしまったとしき、多くのひとを傷つけるような行動をとったとき、少し派手な行動をとったり、被害者に配慮しない行動をしたりすると「不謹慎だ」として叩かれるのである。

 

ここで考えてみてほしい。「不謹慎だ」と言われる行動は本当に不謹慎なのだろうか。

行動している人自身は人のことを配慮して慎み深く行動しているつもりでもひとたび「不謹慎だ」と指摘されてしまえばその行動は「不謹慎だ」という事になってしまうのである。行動している人自身にとっては不謹慎でない。しかし指摘する人にとってはその行動は不謹慎なのである。

では、「不謹慎だ」と指摘する人はどうなのだろうか。「不謹慎だ」と指摘する行動は不謹慎ではないのかと問いたい。人の行動に「不謹慎だ」と言及することは不謹慎ではないのだろうか。人の行動に文句をつけるという事はどう考えても慎み深い行動ではないし、指摘される相手への配慮が足りていないように思われる。

 

不謹慎を指摘される人は「不謹慎だ」

不謹慎を指摘する人は「不謹慎だ」

 

不謹慎が表れるとき、不謹慎を指摘された人と不謹慎を指摘した人の2者が不謹慎なのである。

不謹慎を誰も指摘しなければどうだろうか、どんなに派手な行動をとっていても不謹慎であるという事に本人は気がつかない。そして不謹慎を指摘する人はいない。誰も不謹慎な人はいないということになる。

 

不謹慎を指摘された人は不謹慎だし、指摘した人も不謹慎だ。その不謹慎さを指摘してしまえば指摘した人も不謹慎になってしまう。

不謹慎は巡り巡る。

不謹慎を非難することに何の意味があるのだろうか。