無内定無職のタワゴト

140文字以上になるぼんやりとしたこと

真実はいつもひとつなのか

「真実はいつもひとつ」と元高校生探偵の黒縁メガネのガキんちょが言っていたが、果たしてそれは真実なのだろうか。

真実を辞書で引いてみると「うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。」という表現で説明されている。
これをこのまま受け取ると"うそ偽りがなければ真実である"ということになるだろう。
うそ偽りさえなければ真実ということは、真実はひとつとは限らない。

例えば、Aさんが下駄箱に入れていたはずの靴がなくなった翌日にAさんの靴を履いているBさんと出くわしたとする。
Aさんは靴がなくなってしまったということを事実として認識し靴を持ち去った何者かが犯人であると思うだろう。なくなってしまった自分の靴を履いているBさんを認識したAさんにとっての真実はBさんが犯人ということだ。

しかしBさんは下駄箱に入れていたはずの自分の靴がない代わりにAさんの靴が入っているという不思議な状況に遭遇し、仕方がないのでAさんの靴を履いて帰宅し翌日も履いていったのである。このBさんにとっての真実は靴を履き間違えたAさんが犯人ということだ。

そう、AさんとAさんの靴を履いているBさんとが遭遇した段階では二人とも嘘偽りのない事実のもと互いに互いを犯人だと嘘偽りなく考えているのである。

仮に、
X時点:Aさんの下駄箱が空でBさんの下駄箱にAさんの靴が入っている
Y時点:AさんとAさんの靴を履いているBさんが遭遇
Z時点:AさんとBさんが対話し互いに犯人ではないと知る
としたとすると、X時点~Y時点ではAさんとBさんにはそれぞれの真実が1つずつ存在する。しかしZ時点になるとAさんもBさんも自分の考えていた真実は違うことを認識し別の真実をまた作り上げる。

ここで重要なのは真実は物事を考える時点により変わるということだ。

つまり、真実は時系列的にみるとひとつではない。


メガネのガキんちょは真実が常にひとつしかないという嘘をついているのだ。


と、まあこのような理屈の通らないなんにもならない屁理屈をこねてみたが何かを言いたいわけではない。

ただなんとなく、真実はひとつだなんて決めつけなくてもよいのではないかとぼんやり考えただけであった。