無内定無職のタワゴト

140文字以上になるぼんやりとしたこと

後悔を先にする

後悔先立たずというが本当にそうだろうか。

自分は後悔は先にできると思っている。
先に謝っておくねごめんとかいうふざけた文句が通用するくらいなのだ。先に後悔できない訳がない。

物事を実行するときになんとなくこれは後悔しそうだなと感じながら進めていくこともあるし、これは将来の為にならないことであると理解していながらもやってみることもある。多くの人がテスト前日の掃除や喫煙、ゲームをいずれ後悔するとわかっていながらやってしまっているだろう。
将来後悔すると理解しながら物事をやったりやらなかったりするだけでは後悔を先にしたことにはならないが、後悔することを知っていることになる。

後悔することを知っているのであれば先にこの事について悔やんでおくことができる。先に悔やむことになるので後悔ではなく先悔になるかもしれないが、後悔を先取りしていると考えると後悔を先にできることになる。

後悔することがわかってるなら先に悔やんでおけば物事の後の悔いが薄まると自分は考えている。
インフルエンザの予防接種のようなものだ。前もってインフルエンザの予防接種でインフルエンザに軽く係り、本当にインフルエンザにかかったときは症状が重くならずに済む。

後悔は先にできるし、先に後悔することで後の後悔の重苦しさを軽減できると自分は考えている。

やらずに後悔するくらいならやって後悔した方がいいというポジティブな人向けの言葉があるが、自分はこの言葉があまり好きではない。
この言葉はおそらく本当は行動を起こしたいが勇気や覚悟が少し足りないときの為にあるのだが、もっぱら無理解で無責任な第三者に使われてしまうのである。
よかれと思って言っているとしても、無理解で無責任なくせにやる選択を迫るような言葉は迷っている素振りを見せながらもやらない選択をしたい当事者にとっては圧力でしかない。この言葉を言われてしまった当事者はやるように背中を押してくれた人がいるのにやらなかった上手は駄目な人間だと考え、後の後悔をより重く苦しいものにしてしまうだろう。

重苦しい後悔はときに後の考え方を変えてしまうことがあると自分は知っている。
だから自分は、後悔が軽くなるように先に後悔することを推奨し、無理解な第三者に後悔をより重苦しいものにされることを嫌うのだ。