無内定無職のタワゴト

140文字以上になるぼんやりとしたこと

喫茶店

 

 ストローをがじがじと噛む、ストローで氷をからからと回す。グラスに露がついているのをみながら、彼女は退屈しているのだと僕は思った。そもそも彼女は僕の知人ではないし名前も知らない。彼女もそうであろう。

 僕が喫茶店に入ったのはおおよそ1時間半前だ。その時既に彼女はこの料理の美味しくないほどほどの飲み物と雰囲気だけが売りのしょうもない喫茶店にいた。シルバーの眼鏡に薄い唇、紺のブラウスに黒いスカート。紙のカバーのかかった文庫本に視線を落とし、時折はらりと音を立てながらページをめくる。白い陶器のカップにはコーヒーが入っているのだろう。特に注目する所はないが、隣の席に座った僕はなんともなしに彼女を観察していた。彼女の向かいは空席だが、僕の前には特に仲良くもない友人がいた。料理と飲み物を注文するところから、その友人と取るに足らない話をしながら食事を終え、机に飲み物だけが残される状態になるまで彼女は一度もこちらを見なかったように思われる。その間に彼女は文庫本を読み終え、店のラックからファッション雑誌を持ち出しそれに視線を落としていた。

 状況が変わったのはそこからである。特に仲良くもないその友人が僕に相談を持ちかけてきたのである。恋人と同棲することになったがその資金が足りないので金を貸してくれないかというような内容である。僕はこの友人の恋人を知っている。つい最近までデートやキスをするような関係であった。そして彼氏と同棲を始めるという話も聞いていた。そろそろ潮時だから僕に会うのをやめると言ってきた彼女に何と言ったかは覚えていないが、引きとめる理由もなくそれを了承したことだけは覚えている。

「いくら足りない。」

「5万。」

こいつに貸すには少し額が大きいと感じた。こいつが貸した金を返さないような人間でないことは知っているがあまり仲が良いわけではない。何故自分に頼んでくるのかも不思議である。

「給料日が来たら必ず返す。他の誰にも借りてないから絶対に、真っ先に、返しに行くから。」

駄目押しとばかりに言ってくる。なおのこと不思議である。何故、僕なのか。

「どうして僕なんだ。」

「俺の事どうでもいいと思ってそうだから、いいかなと思って。」

ぼそっと、だが聞き取れるように答えた。その通りだ。確かにぼくはこいつのことをどうでもいいと思ってる。自分の事をどうでもいいと思っているのなら、金の貸し借りで気まずくなってもかまわないと考えているのだろう。馬鹿正直なやつだと思った。

「時間はあるか。」

「しばらく予定はない。」

「10分そのまま待っていろ。」

説明もせずにそいつを置いて鞄を持って店を出た。

 喫茶店から徒歩3分のアパートに戻り、金と朱肉と紙とペンを鞄に入れ、店に戻った。僕は友人の前の席に再度ついて飲み物をよけ、紙とペンを差し出して言った。

「金を貸してやるからここの代金を奢れ」

「本当か?」

「本当だ。」

「この紙に何か書けばいいの?」

「そうだ。」

「わかった。」

そう答えた友人に書く内容を指示しながら朱肉を取り出して机に置いた。

「印鑑がないなら拇印でいい。」

素直にそれに従い拇印を押し、指をティッシュで拭いながらこちらをみてくる友人に、封筒に入った金を差し出した。

「確認しろ。」

そう言い確認させている間に、そいつの書いた借用書を確認しファイルに入れしまった。

「ありがとう。」

こいつは本当に馬鹿なのかと思った。

「ちゃんと返せよ。あとここ奢れよ。」

「わかってるよ。今払ってくる。」

そう言って席を立った友人を見送り、自分は椅子の背にもたれてなんともなしに彼女の方を見た。彼女もこちらを見ていた。反射的に視線を逸らし、彼女のテーブルの上にある飲み物が変わっていること認識し、再度彼女の方を見た。彼女はもうこちらを見ていなかった。

 僕が家に戻っている間に友人が頼んだであろうアイスコーヒーがきたので無断でそれに手を付けていると友人が戻ってきた。席にはつかない。

「ちゃんと会計済ませてきたよ。店員に言っといたからそのコーヒー飲み終わったら何も言わずに店でて平気だから。」

「ありがとう。」

「彼女に資金なんとかなったって伝えたいからもう行くね。」

「わかった。」

そう言って鞄を持ち店を出ていく。薄情なやつだとか金だけが目当てかとか思ったが、文句をつけずに見送った。

 とりあえずコーヒーを飲むかとなんとなしにストローで氷をからから回していたら、隣の席からも同じ音が聞こえてきた。さりげなく彼女の行動を見守る。ストローを噛み、氷をからから回し退屈そうにしている彼女をしばらく見ていた。僕はいつの間にか彼女のほうをしっかりと見つめてしまっていたようで彼女と視線を合わせてしまった。そのまま視線を逸らさずにいたら、彼女は声をかけてきた。

「どうかした?」

「どうもしない。ちょっとぼんやりしていただけだ。」

嘘はついていない。ぼんやりみていたらいつの間にかしっかり見つめてしまっていただけだ。

「暇なら話をしない?」

よっぽど退屈していたのであろうか、思いがけない誘いを受ける。

「かまわないよ。」

僕が答えると彼女はグラスも荷物もそのままに僕の前の席に移ってきた。

「あなたは金額に手を加えるつもりなの?」

「そうだ。」

一部始終をしっかりを聞いたうえで、僕が借用書に手を加えてしまおうかと考えているのに気がついていたようだ。

「さっきの人は馬鹿なの?それとも貴方を信用しているの?」

「きっと馬鹿のほうだ。」

「そう。」

「君はどれくらいここにいるんだ?」

「三時間くらい。」

「何故?」

「ちょとした嫌がらせかな。」

悪戯をたくらんでいる子供のような顔でふふっと笑う。

「今からここに彼氏を呼んで別れ話をするの。それから別れ話が終わったら彼を置いて店を出ちゃうの。」

「なるほど。」

なんてくだらない嫌がらせだろう。その為に三時間もここに居座り続けたとは彼女はよっぽど他にすることがなかったのだろう。

「お願いがあるの。」

「どんな?」

「彼氏のふりして私を連れ出してくれない?」

「いいよ。」

僕は後々面倒になるかもしれない彼女のお願いを嫌がることなく了承した。それは僕が退屈していたからなのか彼女を気に入り始めているからかは分からなかったが気にならなかった。

「本当に?」

「本当だ。」

「じゃあ別れ話がひと段落したら飲み物の氷をからから言わせるから私の彼氏を無言で睨み付けて私を連れ出してね。」

「分かった。どこまで連れ出したらいい?」

「どこでもいいよ。」

「そうか。もし君の彼氏が会計を無視して追ってきたらどうする。」

「追ってこなくなるまで連れて逃げて。」

「分かった。」

「じゃあ彼を呼びだすね。」

彼女はそう言って元の席に戻り、電話をかけ始める。

そんな彼女を見ながら、僕はこれからのことに少し期待していた。