家に帰りたいと家で思う
家に居るのに家に帰りたいと思うことがよくある。
家のリビングで、自室で、布団のなかでふと思う。「家に帰りたい」と。
外出中に家に帰りたいと思うのであればまだ分かる。しかし家の中で家に帰りたいと思うのはおかしなことではないだろうか。家に帰っている状態なのにその状態でさらに家に帰るというのは不可能な話である。外出していないと家には帰れないのだ。
そこで考えられるのは家は一つではないということだ。
自分は以下のような3つの家があるのではないかと考えた。
家A:日常的に寝たり起きたり食事をしたりする建物
家B:家族や恋人、それに類するひとのいる場所
家C:よい精神状態になれる場所
家Aは普段外にいて帰りたいと思う場所であろう。仕事で疲れたり嫌なことがあったときにとりあえず帰りたいと思うだろう。他の家と比べて比較的帰りやすい場所である。
家Bはなんだかさみしさを感じた時に帰りたいと思う場所であろう。ひとりぼっちでいるとき、疎外感を感じているとき、なつかしくなったときに帰りたいと思うだろう。家A=家Bというひともいるだろうが、家Aよりはやや帰りにくい場所である。
家Cは精神が不安定になった時に帰りたいと思う場所であろう。漠然とした不安感に襲われたとき、自己嫌悪に陥ったとき、理由もなくつらくなったときなどの帰りたいと思うだろう。残念ながらこの家Cははっきりとした場所があるわけではないため帰ることはなかなかに難しい。どこにもないかもしれない。もはや家と呼んでいいかすらもわからない。
ところで、『帰る』とはどういうことだろうかと考えたとき、『帰る』には自分の家やもといた場所に戻るという意味以外にも、今いる場所を離れて去るという意味もある。今いる場所を離れるというのであれば外出していなくてもできる。家にいても帰ることが出来る。
しかし、家に居ながらにして家という場所から離れて家という場所に行く為にはやはり家は3つあるという考えを用いたほうが分かりやすいだろう。
つまり、「家に帰りたい」という言葉には、今いる場所から離れて3つの家のいずれかに行きたいという意味があるのだ。
こう考えると家Aにいるときに「家(B)に帰りたい」と思うのも、家Bにいるときに「家(C)に帰りたい」と思うのもなんらおかしなことはない。
実現可能かはさておき、家にいて「家に帰りたい」と思うのは矛盾していない。
だいたいそんな感じなのだ。
あゝ、家に帰りたい。